2006年02月06日

病室の風景



広さは個室A(31,500円)ですが、窓側に建物があるので個室Bの値段。
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応接セットがあり、ここで仕事をしていました。
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窓辺にクリスマスの飾り
クリスマス・リース、Mさんと奥様から、ありがとうございました。
窓辺.JPG

クリスマス・イヴに届いた花かご(I先生、ありがとうございました。)
花2trim.JPG

花かごは、しおれた後も元気な物だけ残して退院まで和ませてくれました。
膿盆が花器に変身。
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2006年02月05日

入院費総額



入院中、TVを見ていて嫌だったのがやたらと「がん保険」のコマーシャルが多かったことだ。
私は、よもや自分がこんなことになるとは思っていなかった。がん保険どころか、職場で自動的に入る保険以外は、何も入っていない。3人に1人ががんになる時代と言われれば、確かにがん保険も必要なのかもしれない。

今回、78日間の入院で要した費用を、病院から受け取った請求書兼領収書から整理して見た。
実のところ、明細はよく分からない。
共済本人で、負担割合は30%。11月11-15日の5日間(外科病棟、術前)のみ6人部屋で、後は、11月17-21日(外科病棟、術後の個室、たしか1万円ちょっと)、それ以外の期間は混合の個室だけのフロアにいた(室料1日21,000円)。

10月20日ー10月31日 計432,310円
入院料(119,457円) 手術料等(45,906円) 検査料(438円) レントゲン等(5,460円)食事(8,580円) 室料差額(252,000円) 私用電話(470円)

11月1日ー11月30日 計1138,650円
入院料(152,949円) 投薬料(5,586円) 注射料(48,807円) 処置料(3,363円) 
手術料等(419,151円) 検査料(18,288円) レントゲン等(17,772円)その他(1,650円)
食事(17,160円) 室料(451,500円) 電話(320円) 証明書(2,100円) 


12月1日ー12月31日 計891,820円
入院料(177,243円) 投薬料(4,020円) 注射料(16,179円) 処置料(849円) 
検査料(7,830円) レントゲン等(11,211円) 食事(19,500円) 室料(651,000円)
電話(1,890円) 証明書(2,100円)

1月1日ー1月5日 計144,600円
入院料(34,965円) 投薬料(630円) 食事(3,900円) 室料(105,000円) 電話(100円)

総額 2607,380円 (内室料差額 1459,500円) 医療費だけでみると114万円。

手術を要する入院では、やはり300万円くらいは用意しておく必要がある。
私は、今回の費用については、独身でそれなりに老後の貯えもしているので、感覚としてはリーズナブルだと思っている。個室差額も、部屋の広さや設備からするととても妥当な額だった。
但し、これが10数回も続いたり、他の患者のように1回の入院が数ヶ月(長い方は半年くらい入院という方もいたようだ)も続くと、そんな呑気なことも言っていられなくなる。

最後に恥ずかしながら白状すれば、退院後、東京の老父が2/3相当の金額を送金してくれた。専門の仕事を持ち経済的にはなんの苦労もない身なのに、50台なかばの娘の身を案じてのことだ。強がりを言いながらも、ありがたく受け取った。
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2006年02月03日

大阪弁が移った



大阪に暮らして、そろそろ2年。
一番の壁は、なんといっても大阪弁で、これが東京生まれの東京育ちにはよそ者意識につながる。私は、本所の下町っこだ、切れのいいのが身上ときている。そうなんやなぁ、とかの、なぁなぁ言葉、いわはるしぃ、などの"はる"のついた敬語、語尾ののばしはまどろっこしい。

それでも、入院中に大阪言葉が移ってきた。
B先生の診察が終わり、腹帯は自分で締めようとすると、「いけますか?」
「はい、大丈夫、いけます、いけます。」(と、自分であわてて腹帯をしめる。)
「先生、最近、調子いいですよ。」 「ほんまですか?」 「ほんまですよ。」

幼子が、母親から口移しに言葉を覚えるように、病院では主治医やナースが頼りになる存在。B先生や、受け持ちのKナースから、自然と移ってきた。ここでなら、大阪弁が移ってもかまわないと思った。
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東京vs大阪 どっち?



今日は朝から晩まで大事なプログラムが入っているのだが、サボってしまった。若い人たちに任せておこうと自分への言い訳。今週はダラダラな1週間で、月・水と2日しか職場に出なかった。免疫の本を読んでいると、「無理するな」「人に任せろ」なんてことが沢山書いてあって怠け心には恰好な言い訳になる。

1月5日に退院、ちょうど1ヶ月たち、職場復帰に向けての気の張りがゆるんできたのだろう。体調面はなんら支障はないのだが、心理的に振り返りを必要としている。

それで、今日は「食べもん」の話。
藤沢周平の小説で思い出したのだが、美味しそうな食べ物があちこちに出てくる。「海鳴り」では、人妻おこうとの逢瀬で、小鯛や鮎の塩焼きをむしって食べる場面。あさりや蟹の味噌汁。彫師伊之助捕物覚えでは、伊之助が立ち寄る一膳飯屋での数々、焼いた小がれい、山牛蒡の味噌漬け、山形を舞台にした物語では赤蕪の漬物など。

赤蕪の酢漬けは、退院後、早速デパ地下で買ってきた。京都の漬物屋のより、やはり山形のものが美味しい。

入院中は、手術前は胆汁チューブで、術後は胃を1/3切っていたので、食欲がなかった。それに五分がゆ・すい臓食は同じものの繰り返しでまずかった。ラコール(栄養補助ドリンク)よりはましだと、必死で副食だけは食べるようにしていたが。

私の人生で、もう食べる楽しみはなくなったと思っていた。そんなとき、よく、東京の食べ物が思い出された。

好物は、うなぎの蒲焼。元気がないとき、疲れたときはうな重に限る。「宮川」のうな重は、美味しかった。大阪のは蒸していないのでとろりとした味わいに欠けるのと、ご飯と2段重ねで、全体にご飯が多くてご飯の上にちょこっとうなぎが乗っているかんじ。大阪のうな丼・うな重には、いつもがっかりさせられる。

「寿司岩」の寿司。2年の大阪暮らしで、まだ握りを食べていない。どうせがっかりするから。東京から来た同僚が、帰るたびに、築地で握りを食べてくると言っていた。握りもいいが、私は夜の会議でいつも取っていた寿司岩の上ちらし(2000円)がお気に入りだ。ほたてやマグロのいきのいいネタが寿司おけからはみ出さんばかりにのっている。ご飯少な目もいい。外からの参加者も、このちらしが楽しみで来るんですよ、と言っていた。なんといっても、寿司飯に酢がきちんと利いているのがいい。大阪の寿司は、酢が利いてなくてぼんやりした味。

職場の近くにあった小さな店の、江戸前あなごの天丼。あなごが一尾どーんとのっている。1000カロリー近くはあると、あまり食べないようにしていたが、ごま油で揚げたさくさくの衣に甘辛いタレ、とろとろの白身、美味しかった。

天麩羅自体は余り好きではないが、天ぷらそばは別格。本願寺前の(美容院シュブーの向かい)、天ぷらそばは、大きな海老が2匹、汁はかつお出しでやや辛め、それが海老天やそばとよく合う。けれど、食後はのどが渇く。萩山のK国立病院の向かいにある蕎麦屋の天麩羅そばは、特別大きな海老が2匹、わざわざ料理前に見せてくれる。こちらは信州そばが売りで、汁はやや甘め、ボリューム満点、食後は仕事にならないくらい。

カレーは、新宿中村屋のシーフード・カリー。京王線沿線での用事があり、大阪に日帰りで戻るときの夕食の定番だ。食後のインド・ティーは、カルダモンなどスパイスの効いた甘いミルクティーで、これがないとカレーの締めにならない。

パスタは、二番目に美味しいのが「スペッツィエ」のシーフードトマト味、これにタバスコをたっぷりかける。夜10時前に帰れるときはよく立ち寄った。
一番は、自分で作るスパゲッティ。鷹の爪・にんにくと玉葱1個のみじん切りをオリーブオイルでよくいため、トマトホール缶(400g)2缶を加えてつぶし、ぐつぐつと煮込む。アルデンテに茹でたフェデリーニ(4-5分でゆだる細め)にかけるだけの単純なもの。イタリアに数年住んでいた友人に教わったのだが、スパゲティはこれが一番で、外で食べると大体、がっかりする。退院して、先日、早速作って食べたが、やはり一番だった。

大阪で美味しいものはなんだろう?
残念ながら、これがないのだ。お好み焼き・たこ焼き、一応食べたが、とくにどうということなし。これまで外食が多かったのに、忘れがたい味などまったく思い当たらない。
唯一、例外は、泉州水茄子の漬物。
なすの漬物が1個500-600円と高いのだが、これは美味しい。5月に入ると、忘れずに東京の家族や友人に送る。

それ以外に何があるだろう?(大阪の友人・同僚、ごめんなさい。)

ともあれ、退院して、こうしたものが、また美味しく食べられるようになった。胃もだいぶ大きくなってきたし。ありがたいことだ。好物だったコーヒーはまだこわくて飲んでいない。そろそろ、コーヒーが飲みたい。
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2006年02月02日

どういう人生を送りたいか



しかし、↑そんなことを問われたところで、どう答えたらいいのだろう?

特別なことは何もない。平凡に、淡々と、自分らしく、今の状態を続けられれば、それが一番いい。それ以外に何を望むというのだろう。

入院中、私は10数冊の小説を読んだ。大半が、いつか読みたいと思っていた藤沢周平作品だった。手術前に読んだ1冊、「三屋清左衛門残日録」のなかの、最後の1編「早春の光」の一節より(p.436)。

--そうか、平八。
いよいよ歩く習練をはじめたか、と清左衛門は思った。
人間はそうあるべきなのだろう。衰えて死がおとずれるそのときは、おのれをそれまで生かしめたすべてのものに感謝をささげて生を終えればよい。しかしいよいよ死ぬるそのときまでは、人間はあたえられた命をいとおしみ、力を尽くして生き抜かねばならぬ、そのことを平八に教えてもらったと清左衛門は思っていた。

どういう人生を送りたいか。上記のように生きられたら、それにつきることはない。
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手術の選択



このブログを4-5人に伝えたところ、ある人から手術の選択をどのように判断したのかと問われた。
11月2日の病状説明の場は、ところどころ鮮明に記憶している。細かい内容は忘れたが、自分がどのようにして手術を選んだのか思い出してみよう。

一つには、事前に読んだ医学書のコピーから、治療の第一選択が手術(膵切除)であること、手術と化学療法では生命予後に開きがあること(後者では1年以内)、手術の場合もstageIIIやIVでは成績が改善していないこと、10年前の古いデータだが症例数の多いIVaで1年生存率27%、5年で数%・・・と、冷や汗ものの情報がしっかりインプットされていた。

A先生は外科医にもかかわらず、手術の困難さと根治性の難しさ(門脈浸潤あり、後腹膜への拡がり?)を強調していた。その場の印象では、暗に、化学療法を薦めているのではないかとさえ思ったほどだ。
手術ではどうしてもCa細胞が残る、手術することで肝転移の可能性が高まる、門脈の神経叢をいじるので下痢・便秘など術後QOLは低下したまま、膵臓断端と空腸吻合の難しさetc.
それに対して、ジェムスタビン(化学療法)はまだ3-4年の成績だが、今のQOLを維持してしばらく持たせることができる。選択は、私がどういう人生を送りたいか、だとも。
「自己決定」ということは分かっていたが、苛酷なことだった。

「先生が私の立場だったらどちらを選びますか?」
「さぁ、どうするかなぁ・・・」、当たり前だが、答えなかった。

いろいろなことが頭をよぎり、何か独り言のように自分の思いを口にしていた。QOLを維持して1年以内、手術と術後化学療法でQOLの低いまま2-3年、どちらを選ぶか?
生命を縮めてまで今成し遂げなければならない大事な仕事など私にはない。秤はがたんと前者に傾き、急に仕事などどうでもよくなった。家族のことも話していた。子供のいない気楽な独身、取り残される老父への思いなど。

「私のこれまでの性格からすると、アグレッシブに立ち向かうのが私らしいので、手術でお願いします。」
傍らで聞いていたB先生が、迷いのない答えに、「アッ」と声を出した。

セカンドオピニオンは必要なかった。A先生は府内の2-3箇所を挙げられていたが、自分が決断するのは同じことだった。それに、2名の主治医を信頼していた。
1時間ほどだったろうか、終わりの方で、A先生は、私の選択を支持するかのように言われた。「化学療法は宝くじと同じ、効く人には効くが、当たる確率は低く、損する場合が多い。」

その場で結論を出した。もう一晩ゆっくり考えてみようとは思ったが、迷いは生じなかった。

結局、どのように選択したかというと、今までの自分らしさ、ということになろうか。
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ライフスタイルを変える



昨夜は、ネットサーフィンをして3時、それからいつもの長めの入浴をして寝たのが朝方4時。8時過ぎに目覚ましで起きたがそれからまた寝てしまった。外は冷たい雨音。
昼頃あわてて外来へ行き、採血を済ませた。腫瘍マーカ、CA19-9とCEAが検査項目に入っているのを確認した。白血球・血小板は大丈夫だろうか、少し気になる。

朝食禁だったので、近くで昼食(そば)を済ませて職場へ。午後からいくつもの会議が入っており、席に落ち着く間もなく、結局、すべて終了したのは夜9時。10時のバスに間に合い、電車に乗って最寄り駅について、11時少し前、近くの「めし屋」で夕飯を済ませた。タクシーで帰宅し、お茶でも飲みながら新聞読みといきたいが、このブログを始めたのでまずはPCに向かった。

退院してから、ライフスタイルを変えようと努力している。
免疫療法関連の書物を読むと、1)食生活、2)睡眠(夜11時前には寝る)、3)ストレスをためない、4)副交感神経優位の生活、etc.と続く。

食生活。今日は2食とも外食だったので×だが、一番改まった部分だ。
それまでの生活はひどかった。朝はコーヒーにパン、昼は職場で仕出し弁当(400円で安いのが取り得)、夜はお菓子やありあわせのパン、または今夜のように外食。カップ麺やスナック菓子も多かった。
数年ぶりに電気釜を取り出し、ご飯を炊いて食べている。炊き立てのご飯の美味しいこと。野菜たっぷりの味噌汁に、漬物・佃煮、デパ地下の惣菜で、自分で用意する食事がこんなに美味しいのかと、入院中の苦痛だった食事を思い出す。数日前からは玄米食にも挑戦し、厳密な菜食主義は無理だが、野菜穀物中心の食生活に変わった。まったく苦痛ではない。

難しいのが、就寝と起床時間。朝寝坊の夜型で、興に乗れば4時5時まで起きて平気だった。仕事の日は3-4時間寝て、睡眠不足のまま1日を過ごしていた。
入院中は、毎晩、睡眠導入剤(マイスリー10mg、それが効かなくなってからはレンドルミン)の世話になり、6-7時間きちんと寝ていた。退院後、不思議と眠剤が不要になった。
早寝早起きに変えたいのだが、これが本当に難しい。
就寝前に、1時間ちょっと入浴。12時前に寝たいのだが、新聞も読みたいしTVのニュースも見たい。帰宅が8時頃ならなんとかなるが、今夜のように11時過ぎだと寝るのは2時か3時。

まず当面の目標、12時前に寝ること。週のうち4日できたら良しとしよう。
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2006年01月31日

検査・治療方針・手術・術後の回復



18日に初診、20日に入院ということで、実にあわただしかった。と同時に、それまでの疲れが一気に出てきて、入院して、やれやれほっとした感もあった。病室は個室で、外科病棟に移るまでの3週間余りは、検査の連続と、仕事の続き(というか同僚への移譲)の日々だった。

今、記憶に残っているのは、鼻から胆汁チューブが入り、のどや胃部不快に耐えながら、同僚や上司の見舞いと、引継ぎの仕事の話を続けながら(いくつもの案件が本当に気がかりだった)、コピーしてもらった医学書やHPの記事を読んでは真っ青になっていたことか。検査のことなど、ノートにメモしていたつもりが走り書きばかりで、ちっとも記録に残っていない。

主治医は肝胆膵の消化器外科専門の2名、シニアをA先生、ジュニアをB先生としておこう。B先生はポータブルのエコー持参で病室を訪れ、それこそエコーを何度もしてもらっているのだが、主な検査・処置は次のとおりだ。ちなみに10/20の入院初日にもらった診療計画書には膵腫瘍と診断名が明記されていた。

10/24 胆汁排泄のための経皮的胆道ドレナージ術、しかし、胆管が細くて針をさせず変更。
10/25 内視鏡検査、CT(血管造影)とともに、内視鏡的ドレナージ(ENBD)。鼻から管が入って胆汁排泄。以後、手術までこのチューブが入ることになる。毎日、鼻と頬の固定テープ交換。
10/26 腹部レントゲン 採血 逆行性膵胆管造影検査
10/31 そけい部からの血管造影検査 (動脈止血のために24時間安静) 

ノートに記録がなくてなにもかも今から見ると不確か、それほど、あわてていたのだろう。治療方針の話し合いまでの主だった検査はこんなところだったろうか。

確か、11月2日に、A先生から病状説明があった(B先生同席)。
膵頭部腫瘍は5cm大に膨らんで大きく、胆管をふさぎ、上腸間膜静脈や門脈が巻き込まれている(浸潤)。後腹膜にどれくらい拡がっているか? 門脈から癌をうまくはがせるかどうか。
進行度はstageIV、実際は画像より進んでいることの方が多い。
手術療法か化学療法か、ぎりぎりのなんともいえない厳しい選択とのこと。
手術/化学療法、それぞれのメリット・デメリットなどの説明があった。選択は私に任された。
ある程度、医学書などに目を通していたので、覚悟はできていたつもりだったが、予想以上に厳しかった。その場で、手術を希望した。11月14もしくは16日が手術予定とのこと(膵頭十二指腸切除)。

それからは、ビリルビン値が下がるのを待ちながら、一連の手術前の検査や麻酔科の説明などで明け暮れたように思う(記録がまったく抜けている)。
原稿とか、二三、外科病棟に移るまでに仕上げておかなければいけない仕事もあった。
ビリルビンは、11月7日(入院19日め)でも5.0で横ばい状態、ASTが132、ALTが198、ALPが483、AMY-Sが374と、入院時よりは改善傾向にあるが、基準値を大きく超えていた。

腫瘍マーカは、10/21時点で、CA19-9が815(基準0-37)、CEAが6.8(基準0-6.5)、SPAN1が318(0-30)、DUPAN-2が1000(0-150)だった。

11月11日(金)に外科病棟に移る、今度は6人部屋だ。手術日は16日(水)に決定。
14日(月)に再度、A先生から手術についての説明。B先生のほか、家族の同席がないので看護師長も同席。
1)状態 前回(11/2)聞いたとおり。
2)膵頭十二指腸切除術(Childの変法) みぞおちからへそまで正中切開。
まず、癌が全体に拡がっているかどうか確認する(画像上、腹水(-)、腹膜炎(-))。
上腸間膜静脈・門脈が癌に取り囲まれている状態だと剥離がむつかしい。
3)切除: 胆嚢(胆石が2個みつかった)、胃の下側1/3、膵臓(頭部1/3強)、十二指腸の切除。消化管をごっそりとる。
4)再建: 膵臓、胆管、胃、それぞれの断端を空腸に吻合する。膵臓と空腸の吻合がむつかしい。
5)輸血のこと、8-12時間の手術予定。  
6)術後管理: ドレーンが数本、しばらく食事ができない。神経叢の切除により、下痢・便秘などの不定愁訴。術後の化学療法
その他

11月16日手術日。前夜から下剤、翌朝の浣腸、手術室へ行くための準備。
8時半前にはB先生が来てくれて、ナースとともに手術室まで付き添ってくれる。面会の人数人の励まし。緊張。硬膜外麻酔を入れるところまで記憶がある。あとは記憶なし。A先生(執刀医)がいつ来て去っていったのか、それすら分からない。
手術終了、B先生に、「痛い」と言ったのは覚えている。ICUに移り、「今、9時です。面会の方に会われますか」とナースから言われたのも覚えている。またしばらくして、B先生がICUに来て、手術はどうだったかと尋ねたら、「取れるところは取りましたが、全部は取れずに残ったところもある」とのこと。なぜか愕然とした。
翌朝、10時にICUを退室するまで、結構、印象に残ったことはあるのだが、いずれ別の機会に記そう。

術後の回復過程は、また別の機会に。(22日には外科の個室から混合病棟の個室に戻る。)

手短に記すと、私の場合、胃と空腸の吻合部に浮腫がおこり、結局、3週間は嘔吐が続き、食事がとれなかった。患者によってはこういうことが起こるらしい。A先生の言われたとおり、3週間が過ぎると、不思議と嘔吐がとまり、口から食事が取れるようになった。それとともに体力がついてきて、回復が進んだようだ。
B先生が言われていたとおり、術後管理がとても大事とのことで、嘔吐以外は大きな問題は起こらなかった。B先生は、術後約4週間、土日も病室に現われて、朝夕2回、診察をしてくれていた。

12月15日からジェムザール開始。まず1000mgで始め、22日は白血球が2900と落ちたので休み、29日に800mgを行った。制吐剤セロトンも点滴に入れているので、とくに嘔気なし。
夕方から微熱(37.3度)、翌日に数回の下痢、などの反応。内出血班がふくらはぎや腰骨のあたりにもでた。一応、この2回で、第1クールめが終了。

10/21と12月15日の腫瘍マーカは下記のとおり。
CEA(基準0-6.5) ・・・ 6.8 → 2.4
CA19-9(0-37) ・・・ 815 → 227
SPAN1(0-30) ・・・ 318 → 88
DUPAN-2(0-150) ・・・ 1000 → 255

2006年1月5日(木)退院。10日(火)より復職、月ー木と職場に出ている。
水曜に採血、金曜にジェムザール800mgの点滴(3週4休)。
こうして、私の社会復帰の日々が始まっている。 
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外来受診から入院へ



受診のきっかけは、10月18日朝、目の黄疸に気づき、びっくりした。直ちに近くの大学病院の総合診療センターを受診した。それまで多忙にまぎれて、自覚症状を意識してこなかった。問診表に経過を書きながら、改めて、体調不良の数ヶ月だったことに気づく。

8月下旬から疲労感と倦怠感、9月に中国行きの仕事があるのにこんな調子で行けるのかという不安があった。中国(9/12〜19)では、夜間に上腹部痛。食事のせいで慢性胃炎になっているのだろうかと思っていた。軽い黄疸はこの頃からあったようで、ファンデーションの色が合わなくなって日に焼けたのかと思っていた。
4月・5月と、今年は体重を落とさなくてはとダイエットを意識していたのだが、食事を気にしなくても8月頃には体重が落ちていた。いい傾向だなんて思っていた。
10月に韓国行きの仕事。この頃は、とくに入浴後の全身掻痒感がひどかったし、疲労感が目立った。週末、自宅にいるときは、1日横臥したまま、ぼんやりTVばかり見ていた。

疲労感、倦怠感、上腹部痛、食欲不振、体重減少、黄疸、全身掻痒感、白色便、こんな自覚症状が思い当たった。

総合診療センターの血液検査は、1-2時間後には結果が出た。エコーで閉塞性黄疸とも。
総ビリルビンは6.2(基準は0.2-1.0)。肝機能系は軒並み悪く、AST(GOT;基準12-40)が236、ALT(GPT;10-45)が349、ALP(80-230)が912、G-GTP(5-60)が384、など。

その場で、直ちに入院を勧められ、減黄処置とおそらくは手術、12月一杯かかるだろうとのこと。関連病院への入院手続きをとってもらったが、結局、知人のつてで受診した大学病院に10月20日に入院した。
関連病院への紹介状は開封した。「膵頭部に4.6x3.8cmのmassを認める」とあり、すい臓癌だと思った。ただ事ならない、とこのとき自覚した。
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今日からスタート



昨年、2005年10月20日に急遽入院となり、11月16日に手術して、年明けて1月5日に退院した。現在は、毎週金曜日にジェムザール(GEM)800mgの外来化学療法を受けながら、1月10日より職場に復帰している。早いもので、退院後3週間余りが過ぎ、GEMも2クールめが終了したところだ。明日は、腫瘍マーカその他の血液検査の予定。

ブログは、退院したら始めようと思っていた。自分自身の覚書として、また、難治といわれるすい臓がんを患って、同じ病いの方たちと情報交換をしたいと思っていたから。
この3週間、週末にネット検索をしだして、何人かの方たちのHPやブログを拝見してきた。
正直、切なかった。がんばって闘病生活を送られていたのに、お亡くなりになったというご家族の方の痛切なお知らせや、途中ぷっつり途切れたままのページを多く見かけた。

始めるのはいいのだが、続けられるだろうかという不安と、このブログもある日ぷっつり途切れることになるのだろうか・・・という思いがよぎる。公開することのためらいもある。
とりあえずは、迷っていても仕方ないので、今日からスタートする。
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