2006年03月21日

言葉の壁



明日は、グランキューブ大阪という国際会議場で、中国韓国・米国・日本の4カ国からのスピーカーによる国際セミナーを開催することになっている。一応、事務局の一員であり、シンポジウムの司会役でもあるので、今晩は早く寝ないと・・・と思っている。

今日は昼をはさんで1日、今後の協働プロジェクトのあり方について話し合いを持った。日本、韓国、中国といっても、東アジアの文化を共有している面もあれば、歴史も制度も異なるので、お互いに理解するのは容易なことではない。その難しさの最たる部分が、やはり、言葉の壁だ。今日のミーティングでも3名の通訳が大活躍だった(中国語、韓国語英語;それぞれ本当にご苦労さまでした)。話し合いは、あまりまとまらなかったが、まずはこうして一同に介したことだけでも意味があったと思う。

エスペラントのような、英語ではない、ニュートラルな共通言語があって、世界中の人が、その共通言語さえできれば、互いにコミュニケーションがとれるのだったら、どれほどよいかと思う。少なくとも、言葉の壁だけでも乗り越えられたら、戦争はかなり減るのではないかと思う。

明日のセミナーが、成功裡に進むといいのだが。
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2006年03月16日

辺見庸のこと



最近になって、辺見庸が、脳出血で右半身麻痺になり入退院を繰り返し、それから2年もしないうちに結腸癌で昨年12月、東京・信濃町の病院手術したことを知った。
遺書ともいえる、その彼の本が毎日新聞社よりこの3月に出版された。
先日、朝日新聞に載った彼の記事は、静謐さと力強さに満ちて、今の時代を厳しく分析していた。早く読みたいと思いながら、ようやく今日、その本を入手した。タイトルを、「自分自身への審問」という。

ゥ分ゥ身への審問.jpg

電車の中やちょっとした空き時間に、斜め読みしただけだが、「審問」という言葉に表されているように、徹底した自己への問いかけだ。今はただ、何もせず、夜を徹してでもこの本を読みたい。
それにしても、2004年3月に倒れてからのこの2年間は、すさまじい生活だったことが分かる。あの強靭な精神の持ち主が、自死をも考えたほどなのだ。

左手でキイボードを打ちながら文章を紡いでいるのだから、よもや自死はないだろうが、がんなどに屈せず生き続けてほしい。
本の感想は、いつになったら書けるか分からないが、彼の病から受けた衝撃だけでも、ここに残しておきたかった。
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2006年03月15日

あれこれ(迷い・悩みも)



昨日、今日と大阪は寒かった。雪が舞ったほど。傘を持たずに職場を出て、5時過ぎだったか、バス停に着く頃にはハラハラと雪が黒のオーバーに積もった。草木の芽はふくらみ、黄色の連翹は少しずつ花開きかけているのに・・・。寒の戻りは、これで最後にしてほしい。

通院先の病院で、がん患者のサポート・グループを立ち上げるための第1回準備会を持った。どのような活動ができるかは、まだ未知数だが、この会については、おいおい書いていくつもりだ。
看護職が中心になって動き出しているので、患者会・セルフヘルプとは異なる性質になるだろう。
今は、週末ともなれば、あちこちのサイトを開いて、いろいろな立場の方たちの書き込みを読みまくっている。読むだけで、自分からコメントを残すことはしていないのだが・・・。

楽しみにしていた新しいインナー型イヤフォンが届いた。iPodに付いてきたのもそれなりにいいのだが、耳からはずれやすいのが難点だった。今度のは、SHUREのE3cというタイプで、装着感もよく、高音・低音とも格段にいい。といって、それ程専門的なことが分かる訳ではないのだが、素人なりに違いが分かる程度の話だ。ただ、コードが太くてグレイなので、白のかれんなnanoにはややごつすぎる。nanoはあまりにかわいいので、黒のレザーケースもいただいたのだが、ケースに入れずに使っている。

蕗ごはんを作った。一束の分量が少なかったので、独活もまぜた。美味しくできたので明日は弁当持参、隣室の人の分までタッパウエアに詰めた。こんなことをするから、明日も雪かもしれない。
レシピは、「暮らしの手帳版おそうざい12ヶ月」より。なんと、この本は昭和48年10月発行だ。大学を出て、初めて一人暮らしをした年に買ったもので、古い。メニューも、いまどきのものからは程遠い。私は、料理の本を読んで想像するのは好きだったが、実際にはほとんど作ってない。

今回の蕗ごはんも、かなりアレンジした。
蕗と独活は、さっと茹でて、ややつよめの塩味出し汁につけておきよく染ませる。ご飯はこぶを入れてうす味出し汁で炊く。(本では鶏肉を入れるが省略)炊き上がったら、汁をしっかり絞った蕗と独活をまぜるだけ。
蕗の葉は大きくてどうしようかと思ったが、捨てるのはもったいないので、しっかり茹でて刻み、油でいためて味噌と蜂蜜をまぜたもので味付けした。自己流だったが、こちらも美味しくできた。

明日は朝一で採血を済ませて、院生の論文発表会に参加しなくては・・・。
やはり、タルセバのことが気にかかる。
私は、タルセバは、ジェムザールと併用できる薬のオプションがなくなった段階で使えばいいのかと思っていたが、「がん患者のあきらめない診察室」では、GEMとタルセバ併用が第一選択にあがっていた。

GEM+タルセバ併用 こちら

他方で、抗がん剤はがんの増殖を抑える程度の少量で、なるべく免疫を落とさないように使うのがいい、という意見もあった。(梅澤医師のブログ)

費用対効果の問題もあるだろう。タルセバは個人輸入だから1ヶ月30-40万円くらいかかるらしい。確実にそちらがいいというのであれば、捻出するだけのことはあるのだが、TS1とそれほど違わないのなら、保険適用の方がいいに決まっている。副作用は、タルセバの方が軽いらしい。ということは免疫への障害も少ないということだろう。

A先生は、なんと言われるだろう?この数日間、ずっとそのことが気にかかっている。タルセバかTS1か?
私の今の状態は、どんなものなんだろうか?腫瘍マーカや検査データだけでは、今ひとつよく分からない。
腫瘍マーカは、他人と比べるのではなく、自分のデータがどういう変化をたどるかが意味があるとも言われている。手術前の値に戻っているということは、どれくらい深刻なことなんだろうか?
Performance Status(PS)は、自己診断では、0ではなくて1。仕事を続けている外来通院患者(化学療法中)は、大方、PSは1くらいだろう。要は、このままの状態が継続すればいいということか。

PSについて こちら

梅澤医師のブログは、時間のあるときに、再度じっくり読み直そうと思う。(昨夜読み出して6-7時間読んでいた。刺激的ではあった。)

今週、A先生に質問すること。
@腫瘍マーカ値と前回のCT結果、および今の私のPSから、今の状態はどれくらいなのか? 深刻度とでもいうのか? とくに腫瘍マーカの値の解釈。
Aジェムザールと併用する薬について。TS1かタルセバか?

こんな夜更かしをするようでは免疫は低下するばかりなんだろう。分かってはいるのだが・・・、ついつい遅くなってしまう。
posted by 萩 at 03:20| 大阪 ????| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記

2006年03月13日

著変なし



土・日とUFTのE顆粒(300mg/day)を服用しだしたが、とくに気になる副作用の自覚はない。
悪心、嘔吐などなし。下痢は、これまでも軟便や下痢が普通にあるので、とくにひどくなったということもない。
体重は、食事のせいか、51kgに落ちていた(52.5→51.0)。
倦怠感は、どうだろうか。土曜は何をして過ごしたか思い出せないくらい、何もしなかった。手羽先でスープをとったり、キャベツとジャガイモの野菜スープを作ったり。3食きちんと摂らないと、薬を3回服用できないので、それだけ気をつけていた。すぐに眠くなって、ソファでうたた寝をしてしまう。
今日は、昼過ぎまでベッドにいた。起き出してからも、ぼんやり、TVを見たりたまった新聞に目を通したりして過ごした。
いくつか、やらなくてはいけない仕事は、今回もパス。ゴミだし、掃除、片付けもパス。家の中は、かなりひどい有様だ。行動をおこす意欲が出てこないと言うことでは、やはり、倦怠感があるのだろうか。

新しい薬が追加になったので、用心をして過ごした2日間だった。

標準治療では、ジェムザールとタルセバ併用というのをネット検索で見かけた。個人で海外から取り寄せる必要があるらしい(国内では未承認)。NHKの番組(1月の特集)で、個人輸入している患者の話があったが、考えてみた方がよいのだろうか?
なんとなく、タルセバは、ラスト・リゾート(最後の手段)という印象があるのだが・・・。
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2006年03月10日

ガン君が育っている?



あーあ、今日はショックだった。かなり落ち込んだ。

昨日の採血に、腫瘍マーカ、CEAとCA19-9の検査が含まれていた。
CEA(基準値0.00-6.50)が、前回(2/1)の3.6から7.1に上がっていた。CA19-9(0.00-37.00)は、926から729に若干、下がっていた。
A先生は、CEAの値が上がっているのが気になる、と言われていた。

そこで、いつものジェムザールに追加を考えましょうということで、ティーエスワンが第一候補にあがった。これは5月からすい臓がんでも保険適用になるとのこと。
「自費でいいので、早速お願いします」と言ったら、そういうわけにはいかないらしい。(混合診療の問題? 薬を使えば病院の持ち出しになる由。)

A先生いわく。
@病院を変えて、頼み込んで胃がんの診断を加えてもらい、ティーエスワンを使用する、or
A5月の保険適用になるまで、効果は弱いが同系のユーエフティーを追加する手もある、と。
私。
A先生から離れるのも病院を変えるのも嫌だったので、Aでお願いしますと答えた。

1日2回程度の内服なら、ほとんど副作用はないとの話だったが、カラ元気をよそおい体調がいいので3回でお願いします、と頼んだ。
それで、今日から、ジェムザールは600mgに減量し、ユーエフテイE顆粒(100mg)を3回/day、内服することになった。

ジェムザールについては こちら
ユーエフティーについては こちら
ティーエスワンについては こちら

ジェムザール単剤使用では、限界があるらしいことはいくつかのサイトに書かれていた。
大丈夫かな・・・と気にはなっていたのだ。症状緩和には効くらしいのだが、がんの増殖を抑える効果はあまり期待できないようだ。

私のからだの中で、がんが育っているのだろうか?

術後1ヶ月めでは、CEAが2.4、CA19-9が227と、入院時よりかなり改善していたのだ。今の値は、入院時の6.8と815と、大差ない。

その他のデータは改善傾向がみられた。
白血球は5,100、赤血球は384万、Hbは11.8、血小板は27.8。4休で1週、間があいたせいか。
ASTは79、ALTは81と肝機能は改善傾向、アルブミンは3.3、プロテインは6.2と改善傾向、ALPの胆道系酵素は392、G-GTPは97でかわらず。

ジェムザール点滴の準備に、たいてい30分かかる。ベッドに横になって、先日買ったばかりの、Stardust Revueの「HOT MENU」(デビュー25周年記念アルバム)をボリューム上げて聞いていた。点滴中の30分間も、その後、職場に出るまでの電車の中でも、ずっと聞き続けていた。すっかり落ち込んだ気分を振り払うことはできないが、男性バンドの力強いラヴソングは、少しだけ私を元気づけてくれた。
おかげで、その後のプロジェクト報告会では、私は目一杯、元気な自分を演じることができた。
posted by 萩 at 22:36| 大阪 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2006年03月09日

Love song をいくつか



大阪は、今日は春めいて久しぶりに暖かな1日だった。黒のオーバーが重たいくらい。
午前中は家で、こちらも本当に久しぶりに、英語論文を4編読んだ。午後の集中ゼミに備えるためだ。2-3時間の準備なので、当然、斜め読み、でも学生たちが選んだ論文はどれも面白く、刺激的だった。久しぶりにわくわくした。
1時半から5時半過ぎまで、学生たちの準備は万全で、長時間なのにダレることなくいいゼミだった。楽しかった。
その後、6時から9時半過ぎまでプロジェクトの会議。疲れたが、充実した1日だった。

春のせいだろうか。

通勤の行きかえり、なにげなくiPodのダイヤルを回して女性ヴォーカルの古いアルバムに聞き入った。録音当時、70台のDolly Baker、たしか40台の笠井紀美子、20台のマリーンの歌が入っているアルバムだ。

Dollyの深いしっとりした歌声で。
The very thout of you, And I forget to do the little ordinary things that everyone ought to do.
あなたのことばかり考えているわ。やらなくちゃいけないあれこれも、みんな忘れてしまうくらい。

As Time Goes By 時の過ぎ行くままに
You must remember this, a kiss is still a kiss, a sigh is just a sigh.
The fundamental things apply as time goes by.
これだけは覚えていてね、キスはキスよ、ため息はため息なの。人生で基本的なことって、時が過ぎゆきても変わらないものなのよ。

笠井紀美子の艶やかな歌声で。スターダスト
Beside a garden wall when stars are bright, You are in my arms, the nightingale tells his fairly tale of paradise where roses grew though I dream in vein,
In my heart it will remain
My stardust melody the memory of loves refrain
星の輝く夜、庭の壁ぞいに、あなたは私の腕の中。ナイチンゲールはバラの咲き乱れるパラダイスのおとぎ話を語るようにさえずっているの。けれど私はむなしく、ずっとそれが続くように夢見ている。星屑のメロディー、恋の思い出が繰り返すように。

マリーン、若々しい張りのある歌声で。
Don't go changing to try and please me, You never let me down before, Don't imagine you are too familiar and I don't see you anymore
I took the good times, I'll take the bad times, I'll take you just the way you are.
私を喜ばせようと変わったりしないでね。がっかりさせたことなんてないのよ。あなたに飽きてもう会わないなんて、思ったりしないで。
楽しいこともあったし、苦しいときだってあるでしょう。あなたはあなたのままでいいのよ。


Dolly Bakerや笠井紀美子の心に染み入るラブソング、若いマリーンの弾むようなラブソング。恋の歌が、再び私の心に戻ってきた。
陽が差して、暖かくなると、人の心もゆるんでくるようだ。春はいい季節だと思う、もうすぐそこまで来ている。
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2006年03月08日

タンパク質不足と脂肪肝



アルコールは飲まないし、コレステロール値は基準値で、さほど脂っこい食事もとっていないのに、なぜ脂肪肝になるのだろう?

ネット検索で今まで知らなかった新情報を得た。

「ためしてガッテン」こちら
「脂肪肝にご注意」 こちら

肝臓で中性脂肪が消費されるためにはタンパク質が必要、タンパク質不足になると脂肪肝になるというのだ。肥満でもなく、カロリー制限していても脂肪肝になるパタンがあるという。
「ためしてガッテン」の説明は分かりやすかった。
通常、脂肪肝といえば、アルコールと肥満、カロリー・オーバーが原因にあげられる。タンパク質不足のことは、あまり書かれていなかった。

私の場合、アルブミンも血清タンパクも基準値をかなり下回っているので、タンパク質不足による脂肪肝ということが、これで分かった。
脂肪肝はあなどれない。肝炎→肝硬変→肝臓がんの最初の始まりが脂肪肝だ。
肝機能の低下、門脈への浸潤があるので、肝臓には注意しなければいけない。

手術で吸収が低下していることもあり、低カロリー高タンパクの食事をとる必要がある。
免疫を高めるための「玄米菜食」は、私のような場合、NGなのだろう。食養生も、本によっていろいろなことが書かれてあり、自分にとってどれが最適か、判断がむつかしい。

結局、入院中の「膵臓食」メニューが望ましいのだろう。思い出したくないほど、3度の食事はウンザリだったが、たしかに低脂肪高タンパクの食事ではあった。野菜と穀物を中心にして、肉・魚・卵などもとるようにしよう。
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2006年03月07日

気になる脂肪肝と胆管炎



先週は、3週4休の4休めだったので、採血も点滴もなかった。今週金曜から、ジェムザールの4クール目に入る。効果があがっているのかどうか・・・。採血の方は、検査結果が少しは改善しているといいのだが。

2月22日(水)のCT検査結果について書くのを忘れていた。
24日(金)診察室に入ると、沢山のCT写真が読映台(?)に貼ってあった。A先生は、リンパ節の腫れなどみあたらないから大丈夫でしょう、と。ただ、手術で血流の変化と食ルートが変わったので、脂肪肝になっている、と言われた。

脂肪肝? 不可解だった。術前検査(CTやエコー)でも術後のエコーでも言われたことはなかったので、退院後の変化なのだろう。
10年ほど前の人間ドックで、一度、脂肪肝を指摘されたことがあった。その後は、ここ最近、そんなことはなかった。50になって閉経してから、それまで200ぐらいで済んでいたコレステロール値が急に300前後に跳ね上がるようになった。とくに内服はせず、そのままで様子を見ていた。コレステロール値からすれば、脂肪肝になってもおかしくはない。
けれど、入院してから、食事(膵臓食)のせいか、ストンと140-50台に落ちたのだ。2/22でも140だった。脂肪肝になるような食事はしていない。

それよりは、むしろアルブミン値が下がっている方が気になった。2/22では2.7だった(基準値3.5-5.0)。低蛋白、低栄養を指摘されてもおかしくない値だ。
朝日新聞の日曜版(3/5)に、アルブミンが4mgを切ったら栄養状態が低くならないよう、食事改善に取り組む必要があると書いてあった。この値が低いと、歩く速度が低下したり心臓病の発生頻度が増すそうだ。たしかに、私は、のろのろとしか歩けないし、筋力が低下したままだ。すぐにタクシーを使ってしまう。魚・肉・卵類をもっと摂る必要があるのだろう。Hbも、11.3から10.1に落ちていたし・・・。
朝日の記事は、「老化を遅らせる食事」というタイトルで、13項目あがっていたが、要は、3食のバランス、油脂・動物性タンパク質を十分に、ということだ(高齢者の食事)。粗食は誤りともあった。

2/22の検査結果では、前の週と同様、相変わらず肝機能系の値がよくなかった。
AST(基準12-40)が131、ALT(10-45)が140、ALP(80-230)が405。肝機能・胆道系の酵素が高い。コリンエステラーゼ(CHE、200-450)は130と基準値を下回り、G-GTPは92と基準値5-60を超えている。
骨髄抑制は、白血球が3900でやや改善、赤血球はかわらず335万、血小板がまた落ちて16.4だった。
AST,ALTは、11月の術後から1月一杯まで、40-60台で推移してきたので、早くもどるといいのだが。胆管炎がまだ続いているのだろうか。

水曜には採血、金曜は点滴治療だ。A先生への質問を考えておこう。
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2006年03月06日

食養生



春野菜、うどを初めて買ってみた。どうやって食べるのか分からないまま、太いのが1本、デパ地下で198円だった。穂先は天麩羅に、厚く向いた皮はキンピラに、その他は吸い物や酢の物に、と袋にあった。
早速、朝食の玄米雑炊に、穂先の部分を皮ごとうすく刻んで入れてみた。包丁を入れると、プーンとよい香りがたち、雑炊に春の香が移った。土曜・日曜と2回分、味わった。
残りは、皮をむき、薄切りにして甘酢につけた。皮には毛のようなものがついていて、捨ててしまった。

玄米雑炊には、ブイヨンの素を入れて洋風にし、アンディーブを刻んで入れチーズをのせることがよくある。好物の野菜でこれも1個100円で売っている。レストランでは生のまま一皮にイクラなどをのせて前菜にして出す葉物野菜だ。これは、煮るとほのかな苦味を増し生より味わい深くなる。春の野菜の苦味だ。
20年近く前、サンフランシスコに住んでいた頃、デンマークの友人宅でランチをご馳走になった。そのとき初めてアンディーブという野菜を知った。丸のままハムでくるんで平なべに並べ、その上にチーズをのせてスープで炊いただけのシンプルな料理だが、かの国ではご馳走らしい。それにバゲットが付いて、あとデザートに何かあった。
5月、パリに遊びに行ったとき、このアンディーブが袋入りで市場に沢山売っていた。安かったので1袋を買ってスーツケースに忍ばせ持ち帰った。この野菜のほろ苦さは、ミモザの黄色、鈴蘭の小さな花束、紫や白の花(ああ、名前が思い出せない)、いつもヨーロッパの春を思い出させる。

デパ地下野菜売り場には、「葉ごぼう」も売っていた。大阪特産の野菜らしい。見た目は小ぶりのふきのようで、葉っぱも茎も全部食べられるとのこと。こちらは、この次、挑戦。ふきご飯も一度作ってみよう。
大阪に住んでよかったことの一つに、今まで知らなかった関西独特の野菜が豊富にあることだ。これまでは見るだけだったが、これからは一つ一つ食べていってみよう。

土曜の午後、友人と仕事の打ち合わせを終えて、いつものデパ地下で地鶏のガラを買って帰った。初めて、ガラからスープストックを作ってみた。1時間半ちかくかけて灰汁をすくいながらふたをせずに煮込んだ。生姜やねぎの香りがして、煮ている間、部屋にいい香りがただよった。スープはあまりうまくできたとはいえない。コクが足りないようだ。今度は手羽先なども入れて、濃くのあるスープをとってみよう。
ものの本によれば、スープや出しは命の基本とある。

インスタントものばかり多用していたが、少しずつ方向転換をしつつある。
友人からもらったカスピ海ヨーグルト、それにオリゴ糖など、まだ手をつけていないが、生活に「食」の占める部分が大きくなってきた。食を大事にすると、季節の移り変わりにも目が向く。がんと共に生きるとは、いのちに目を向けることでもあるようだ。
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2006年03月01日

悪態をつく



むしゃくしゃしたり腹の立つとき、人はどうやってそんな気分を発散しているのだろう?

昨日は、1日、そんなイライラする日だった。
2月末日、年度内の出張予定や物品購入の申請締め切り最終日で(別予算枠では1月中旬が締め切りなのだが)、あわてていた。そんなときに限って、長電話が入ったり、オンラインでの申請がうまくいかず、同じデータを何回入力しても起案されずじまいだったりした。1日がかりになった。
その後、本部で6時からの会議。車で行けば40分ほどの距離だが、電車だと2時間弱かかる。当然、タクシーを使わざるを得ないが、料金3,700円は自腹となる。今月は2-3回重なり、腹の立つ話だ。同僚たちも皆、このタクシー自腹には怒っている。
弁当はおろかお茶も出ない会議が9時過ぎに終わり、外に出ると小雨で、最寄り駅まで20分濡れて歩いた。本部の事務方の人と一緒になったが、大阪の男性はこんなとき、傘を差しかけてくれるでもなく、自分の早足ペースで歩く。私は早く歩けない。「お先にどうぞ」と言えばいいものを、つい、言いそびれて、小走りで相手に合わせた。そんな自分にも腹が立った。

"Actor's Studio in New York" というTV番組がある。不定期にNHKで深夜などに放映される、俳優へのインタビュー番組だ。James Lipton という人が製作とインタビューもしているのだが、これがまたとてつもなくいい。邦題はたしか「○○自らを語る」とかいう。ハリウッド・スターの全貌をあますところなく押さえ、短い要領のいい質問に、俳優たちはまた見事に答えている。1対1の対談は難しいとよく言われるが、引き出すほう、答えるほうの知性がぶつかり合い、俳優の普段見せることのない良さを伝える。
一通り、Liptonとの対談が終わると、お決まりの10の短い質問、そして学生たち(監督や俳優をめざす)の質問へと移る。

このお決まりの10の質問のなかに、「あなたがよくつく悪態は?」というのがある。誰もあまり人には言いたくない部分だ。どの俳優もウィットに富んだ答えをしている。
先日の、ジョアン・ウッドワード(ポール・ニューマンの妻)の答え。「私は南部出身よ、だからそんなはしたない言葉は持ち合わせていないわ。一人になって、ウーンとうなり声をあげるくらいかしら(すさまじい形相を見せる)。」けれど、一度だけ本当に悔しくて、ニューヨークアパートの屋上に登って、「○○(スーパーは伏字になっていたが、たしか、Shit! Fuck You!の変形)」と叫んだことがある、と。白髪の60台後半(?)の女優のかわいらしさといったらなかった。

私の悪態、大阪弁バージョン。「もう、ほんまに腹立つわぁ!」
東京弁バージョン。「もう、まったく、あったまにくるったら、ありゃしない!」

昨日は1日、こんな悪態をお腹のなかで繰り返していた。
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2006年02月28日

体が思うように動かない



愚痴めいたことは書きたくないのだが、今ひとつ、思うように体が動いてくれない。
3ヶ月近くも病院という環境に居て、寝たり起きたりの生活だったのだから、元に戻るためにはそれと同じくらいの時間がかかるのだろう。
焦る必要はないと分かっているのだが・・・。
楽な方へ楽な方へと体が欲しているようで、まぁ、いいかと引き伸ばしたり後回しにしたりすることが多い。
気力の低下もはなはだしい。

筋力が落ちているから疲れやすいのもある。退院直後から比べれば、ずいぶん、さっさと歩けるようになったが、それでも、じっと座っていたり横になっている方が楽で、つい、そっちを選んでしまう。
気力の低下は、いかんともしがたい。いろいろ時間切れの事柄が山のようにあるのに、考えないように回避している。心理的なエネルギーのレベルが低下したままだ。
困ったことだ。
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2006年02月23日

Musically Speaking 春の訪れ



大阪は夕方から予報どおりに雨が降り出したが、風がぬるんできた。梅も3部咲きといったところか。春の訪れが近いのだろう、日中の日差しが心地よい1日だった。

30才の頃、2年間ほどボストンに住んでいたことがある。
ニューイングランドの冬は長く、10月の黄金色に輝く黄葉の秋はあっという間に過ぎて、5月初めまで長い冬に閉ざされる。11月の暦になると、ある日突然、風が刺すような冷たさに変わり、あわててダウン・コートを取り出す。すると、すぐに第一派のブリザード(雪嵐)がきて、街は白銀に変化する。それから何度もブリザードを繰り返し、半年は雪の中だ。
4月末、ボストン・マラソンの頃、道端にはまだ根雪が残り、応援の人々もダウンに毛糸のマフラーを身に着けている。
それが数日を過ぎると、いっせいに花々が咲き乱れる。白やピンクのハナミズキ、大振りの白木蓮、ケンブリッジのあたりの濃いピンクの八重桜。なによりも若緑が香るようで、風が吹くたび若芽を包んでいた白い苞が歩道を舞い散る。

長い冬の終わりに、春は本当に待ち遠しい。
当時、MITのFMローカル局で、日曜の昼過ぎに、"Musically Speaking"という番組をやっていた。Melany Berzonという女性の低い深みのある声のナレーションが好きで、楽しみだった。ゆったりとした語りで英語がよく聞き取れたせいかもしれない。知的でリベラル、コミュニティの文化を大事にし、折々に女性やマイノリティの集会を知らせたり、アフリカ音楽の特集などもしていた。

3月末の日曜日、春の音楽ばかりを特集した日があった。
番組の終わり、Melanyのナレーションで、「春は必ずや訪れる、誰の元にも・・・」というセリフが印象に残っている。
別れたばかりの人には新しい出会いを、失意の人には再起の道を約束するように、春は必ず訪れる、誰の元にも・・・と。
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2006年02月21日

気の滅入る日



今日は朝から冷たい雨降り、寒い1日だった。
そんな日に気の滅入るようなことは考えたくないが、それでも前の職場の同僚が入院したという知らせには、彼女のことを考えざるを得なかった。私より一回り以上は若いだろうか、卵巣がんの腹腔内破裂で緊急手術、目下、抗がん剤治療の開始を待っているところとか。
痛ましいことだ。どうして、そんなことがあちこちで起こるのだろう。

自分の病気とともに、知り合いにもかなりの人数の人たちが「がん」という病に侵されていることを知った。ほどほどの距離のある仕事関係なので、直接に連絡を取り合うわけではない。しかし、折にふれ、その人たちのことが思い出される、今、どうしているのだろう・・・と。

同い年で仕事の分野も共通していた友人は、2003年6月にある研究会で久しぶりに会ったとき、数ヶ月、乳がんの治療を受けていたことを告白した。病気の発見、仕事の多忙でしばらく治療を引き伸ばしていたこと、手術と放射線/化学療法、すっかり髪が抜けてかつらになったこと、などなど。元気な頃と変わらないふっくらした体型で、とてもそんな修羅を潜り抜けてきたとは思えなかった。いつも忙しげで、私の職場で開いていた集まりにも、富山から駆けつけては、また別の会合へと途中で退席するのが常だった。6月のその折にも、ゆっくりお茶をする時間もなく、彼女はまた別の集まりに去っていった。
それから1年近くして、間接的にだが、その年の暮れ近くに亡くなったことを知った。6月にはあんなに元気そうだったのに・・・。

職場は相変わらず忙しい。片付かない仕事が、文字通り雪だるま状態に積み重なり、どんどん前のことを忘れていく。だから、いつも、こんなことばかりを考えているわけではない。けれど、元気な頃は、友人知人の病気の知らせに気の毒にと思うことはあっても、今のような切実感が伴わなかった。今は、やはり我がことだ、人ごとではすまされない。

回復が順調でそれなりに活躍している人は、余り病気のことは語りたがらないのだろう。どうしても悲しい知らせばかりが耳につく。職場には、職場の流れと勢いがあり、折々に耳にするそうした知らせに立ち止まっていられないところもある。
しかし、それにしても気の滅入る話だ。
どんな思いをして、1日1日を抗がん剤治療の開始を待ちわびているか、十分に想像がつくのだ。
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2006年02月19日

老父のこと



今日も1日、何もしなかった。今週こそは部屋を片付け、二三、これ以上は引き伸ばせない仕事を片付けようと思っていたのだが・・・。入院中の見舞いにiPodーnanoをもらい、ダウンロードをしようと思いながらそのままになっていた。結局、あれこれ試しながら、ネット購入まではせず、手持ちのCDから300曲近くを読み込ませた。そんなことで午後中かかってしまた。
ご飯を炊き、朝昼と夕食の2回の食事、りんごのおやつ、夜TVを見ながらうたた寝、そして新聞読み。

来週の土・日は東京で大事な研究会がある。実家にも昨年来、数ヶ月帰ってなく、暖かくなってきたので帰ろうかと思っている。
病気のことは、なんて話そうか? まだ本当のことは話していない。

入院前日に、しばらく家を空けるので、老父には外国に行っていると電話を入れた。数週間の外国出張はこれまでもたまにあったので、別段おかしなことではなかった。
家族に内緒にしていて一番困ったのは、手術のときの同意書だった。検査・処置には、必ず説明の後に、本人の同意書署名がいる。手術だけは、本人以外に家族の同意も必要だった。また、術中にもしものことがあるかもしれないので誰かに待機していてほしいとも言われた。
退院して元気な顔を見せられるようになるまでは、入院・手術のこと話せないと思っていた。考慮の末、保証人の署名は職場の上司に頼み、術中の待機と術直後の説明は同僚に頼んだ。

入院は思いのほか長引き、正月休みに帰れそうもなかったので、12月上旬に電話を入れた。韓国中国の出張から戻って体調を崩し、急に入院となり手術を済ませた、と。心配して大阪に来ると言い出しかねないので、入院先は伏せたままにしていた。
その2-3日後だろうか、老父が病室に現われたのでびっくりした。私が何も話さなかったので、職場の上司にいろいろ問い合わせたらしい。
幸い、点滴は続いていたが、嘔吐がおさまり体力も回復していたので、空元気ではあったが普段どおりの私で会うことができた。点滴棒を引きずりながら病室内もうろうろ歩き回って見せた。そんな姿に安心したようだ。

癌だとは話せなかった。慢性膵炎で、胃を少しと十二指腸とともに膵臓の一部を切り取る大きな手術だったが、回復は順調、心配は不要と伝えた。
もともと、家族にはあまり自分のことは語らない方だ。最小限のことしか伝えない。だから逆に心配をかけるのだろうな・・・とは思うのだが。

その後、退院までに何回か病室に電話があった。こちらが、そろそろ電話を入れておかないと・・・、と思うまもなく実家から先に電話が入る。
私の病状説明では納得いかないのか、あるいは昔かたぎの律儀さからか、しきりに主治医に会いたがっていた。主治医は多忙でこちらの都合だけで会えないのだから、と嘘を言った。
職場の方にも挨拶に行かなくていいのだろうか・・・と気にしていた。

「そんなこと言ったって、お前、みなしごじゃないんだから・・・」
親が挨拶に行かなかったら、おかしいじゃないか、というのだ。
”みなしご”という言葉に、東京から大阪に移った娘への距離感が伝わってきた。

やはり、今度の週末には東京に帰ろう。
いずれは再発のこともあるだろうし、元気になったら本当のことを話そうと思っていたが、病名は伝えられない。しばらく、今のままでいくしかない。
posted by 萩 at 03:04| 大阪 ????| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

診察日



金曜日は診察・治療の日。月曜あたりから足のむくみが気になっていた。すねや足の甲を親指で押すと、低反発マットレスのように、へこんだままなかなか戻らない。
A先生にそのことを話すと、アルブミン値が低め(基準が3.5-5.0のところ3.3〜3.1)なので、どうしてもむくみが出るらしい。

利尿剤をとれば一発でむくみは取れますよ、とのこと。それで、ゴレイ散を2週間分追加してもらった。漢方の粉薬で嫌いな薬なのだが、入院中に飲んでいて馴染みがあった。
タンパク質が足りないんでしょうか?と聞くと、「いや、それはあまり関係ない」とも。
AST、ALTやALPが高めで(胆管炎)、それと関係しているらしい。CRP(炎症反応)は基準値内なので、それほどひどいわけではない。

「どうして胆管炎を起こすのでしょう?」と聞いてみた。
A先生いわく。膵臓(胆管)を空腸と吻合してあるのだが、本来、腸内容が胆管に逆流することはないのだが、術後1年くらいはこの逆流が生じることがあり、それで胆管炎がよく起こるのだと。「1年すると、起こらなくなりますよ。」
「食事量を控えた方がいいのでしょうか?」とたずねると、笑いながら、「いや、その必要はない、好きなものをどんどん食べてください。」と。

この1週間、胆管炎というのが、多少、気になっていた。A先生の話で、なるほど、と思った。こうして説明されると、すっきりして安心する。
術後の嘔吐も、胃と空腸の吻合部に浮腫が起こっているので、「3週間経つと不思議と消えますよ」の一言に、安心したものだ。本当にピタリと3週過ぎには嘔吐がおさまった。

こうしたことは、医学書には書いてない。
自分の体の変化から、少しずつ学んでいくことになる。それにしても、A先生はクリアだ。
ほんの数分の診察時間で、1週間の調子を伝え、おなかを診てもらい、検査データをながめ、いつも少しだけ余談をし(今回は大学病院の法人化について)、そして点滴にはいる。

今週は、白血球が2900に落ちていたが、ジェムザール実施。赤血球は変わらず。PLーC(血小板、基準18.0-34.0)は、前回の16.3と19.9から36.6に回復。人間の体は微妙だ。

3月末に1週間ほど、タイ・バンコクに出張予定なのだが、そのことは切り出せなかった。
1月5日の退院のときに、4月中旬に中国に行く予定があるのだが行っても大丈夫だろうか?とたずねたら、A先生は笑いながら、「ああ、いいですよ、まぁ調子を見ながら、直前になってキャンセルしてもいいし・・・」と。
来週、22日に久しぶりのCT検査があるので、24日の診察のときに聞いておこう。

私は、これでも診察のときは多少緊張しているらしく、点滴に入る前の血圧測定は、いつも普段より10くらい上がっている。それでも、毎週の診察は心の拠りどころだ。
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2006年02月14日

ブログって面白い!(またも鰻の話)



野田洋子さんという方が、何日も前に書いた記事にコメントを残してくださった。
東京に来たら尾花という鰻やに行きましょう」と。
早速、検索して見た。美味しそうな記事が沢山あって、実はこれを書き出す前に、もうすっかり空腹状態。帰宅が遅く深夜でもあるので、りんご1個の夜食でなんとかしのいでいる。

http://www.tocera-sky.co.jp/dt_obana.htm リンクの張り方は今度確認しておくが、ここに「尾花」の紹介がある。
「断腸亭料理日記」というのにも尾花の記事があって、鰻好きがよく伝わる。
トラックバックなることには、この次、挑戦。)

大学時代の同級生に野田洋子さんという方がいたが、10数年来、音信不通だ。よもやこのページのことは知る由もなく、同姓同名の方だろう。
私は、大阪に来る前、8年間ほど入谷に住んでいた。尾花のある南千住はすぐ鼻の先だ。知らなかったなぁ、そんな有名な鰻やが近くにあったとは。
ブログって、面白いと思った。

25-26日は東京に用事がある。どうしようか迷っていたが、老父のことも気がかりで、ちょうど入谷にも用事があることだし、尾花にも行きたいので、帰ることに決めた。美味しい鰻重に、うざくを食べてこよう。

入谷の交差点を、少し鶯谷寄りに行ったところに(鬼子母神の向かいあたりか)、小さな鰻やがある。2間ほどの間口で、中年の夫婦ものが、鰻を焼いては売っているだけの店だ。2階が住まいなのだろう。たいていは亭主が一人で店に立っている。夕方7時くらいには売り切れてしまう。運よく帰りがけに店が開いていれば、鰻弁当を買って帰った。奈良漬が3切れ付いた、なんの変哲もない鰻弁当なのだが、炭火焼が美味しく、ありつけると妙に嬉しかった。
私は、いつも、この夫婦がワケありに思えてならなかった。無口だが気立てのよさそうな亭主と、いかにも夫婦仲のよさそうな感じが、身動きも取れない小さな店先なのに、どことなく幸せそうだった。二人、忍んで、小さな店を持ったというのは考えすぎだったろうか。
軒先に置いてある木のベンチに腰かけ鰻の焼けるのを待ちながら、手入れの行き届いた鉢植えを目にしては、いい夫婦だなと思っていた。

小さな鰻やといえば、思い出すのはとげ抜き地蔵の通りにある「にしむら」。母の実家が巣鴨にあり、巣鴨に行くたびに、祖母が鰻を食べに連れて行ってくれた。喘息持ちだった祖母は、精をつけるのと目にいいからと、帰りに八目鰻を土産にしてもらっていた。うな丼は好物だったが、八目鰻に肝焼きは、苦くて子供の口にはとうてい合わなかった。
もう店は残っていないだろう・・・と、先ほど検索してみたら、なんといまだに健在だ。
私が子供の頃は、5-6人も入れば満席になる小さな店だった。今でもそうらしい。

http://www.yatumeya.com 「八ツ目や にしむら」というHPまで出ていた。

今夜は、尾花に始まり、あちこち鰻やの検索をして、店先の匂いと共に遠い思い出がよみがえってきた。あーあ、おなかがすいた。
アクセス解析」なるサービスがこのブログについていて、見ず知らずの方が毎日、何人訪れるか、時間ごとの訪問数なども分かるようになっている。
ブログというのは、始めてみると面白いものだと思った。
posted by 萩 at 02:06| 大阪 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2006年02月13日

切り取った臓器



私は、5cm大のふくらみのある腫瘍組織というのは、黒いピンポン玉のようなものかと想像していた。だからメスですっと切り取れば、悪いところはなくなるものだと思っていた。多少、目に見えないがん細胞が血管壁や後腹膜に残るにしてもだ。

ところが切り取った臓器の写真をみて、そんな単純なものでないことが分かった。

臓器.JPG

ブログは初めてで、画像のアップがサイズ設定がまずくて今ひとつなのだが、見れるだろうか。退院前日に、B先生に頼んで切り取った臓器の写真をもらった。

左上の写真が、切り取った全体。左に突き出ているのが胆嚢、そして胃の下部1/3、真ん中の膨らんでいるのが十二指腸とそれに接した膵頭部、下にさらに十二指腸が続く。これを生で見たのは3人なのだが(術直後にA先生より説明)、その内1人は、「すごく長かった」とのこと。
右上の写真は、切り開いたところ。黒く見えるのが癌組織。
左下は、癌組織で胆管に狭窄が生じているところ。これで私は黄疸がひどかったのだ。

手術でがん組織を切り取るといっても、素人が想像していたような、はっきりした輪郭のあるできものを切り取るのとは大違いなのだ。
だから、取り残した組織があってもなんら不思議ではなく、それを体内に抱えながら、なんとかジェムザールの効果を期待して、暴発しないように見ていかなければならない。
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軽い胆管炎?検査結果にガッカリ



10日金曜日はジェムザールの3クールめに入った。800mgを30分かけて点滴、それに制吐剤セロトンが入る。
診察のときに、ここ数日間、下痢や軟便の回数が増えていると話したら、2月1日の採血結果を見ながら、軽い胆管炎を起こしている・・・とのA先生の話。ちょっとショックだった。

2月1日の採血では、腫瘍マーカのCEAとCA19-9も検査した。
なんと、12月15日では、CEA(2.4)とCA19-9(227)だったのが、それぞれ3.6と926に増えていた。CEAの基準値は6.5以下、CA19-9は37以下なのに・・・。
A先生は、AST、ALT、ALPが前回1月11日より上がっているので、それに反応しているのだろうから心配しないように、とのこと。腫瘍マーカの値は、いろいろな影響を受けるらしい。

それにしても、肝機能系、胆管系の酵素の値が高くなるというのは、いったいどういうことなのだろう。手術前からその後の手元にある限りの検査データをエクセルに入力してみたが、今ひとつよく分からない。
2月1日の週は、たしか職場には月・水と2日しか出なかった。なんとなく気分的にだれてきているのかと思っていたが、疲れも出ていたのだろうか?
こうした微妙なところが、心理的なものかそれとも身体的な反応なのか、つかみずらい。

白血球は3100、赤血球は390万、血小板は19.9万と、いずれも低めだが化学療法はOKとのことで、一安心だ。
2月22日には、久しぶりにCT検査がある。術前検査以来だ。
術後約3ヶ月経つが、腹壁はまだ張った感じが残っている。表皮の縫合はきれいに薄くなりつつあるが、筋膜を縫い合わせた縫い代は相変わらずゴロゴロと触れる。
体重は、入院時が58.2kg、術直前には55kg、退院時52kg、現在は52.5ー53.0kgと、少し増えつつあるだろうか。

自分の体の調子に敏感にならなければと思うのだが、以外にむつかしい。

土曜・日曜は、何もできない。10時頃にゆっくり起きて、朝刊を読みながら朝食。玄米の雑炊や、ご飯に漬物・煮物など。たいがい、ぐずぐずして、朝・昼兼用の食事になる。しばらくTVを見たりぼんやりしていると、眠くなってきてソファで昼寝をしてしまう。夕方起きて、夕食の支度、夕食と片付け、雑誌新聞に目を通しTVを見るともなしに見ていると、夜10時過ぎ。
退院後、週末はずっとこのパタンだ。外出もせず、なにもしないで1日が過ぎていく。
一番困るのは、掃除・片付けができないことだ。
新聞の束はたまり、ゴミだしの袋もたまり、フローリングの床には綿ボコリがたまっている。テーブルの上はゴチャゴチャ。自宅も職場のオフィスも、片付けができないでいる。
今週こそは・・・と思いつつ、倦怠感がある。
心理的な怠惰なのか、体が休息を必要としているのか、よく分からない。

気の持ちよう・・・、がんばらなくては・・・と思いつつ、体内に爆弾を抱えている怖さもある。
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2006年02月08日

おなかの具合と会食



今夜は、韓国側4名、日本側4名の計8名との会食があった。相互の交流を活発にするには、まずは一人ひとりが親しくなることが大事だ。昨年10月に韓国、全羅南道にある順天を訪れ、今回は3月に大阪で開催予定の国際セミナーの準備の一環として、あちらからお見えになった。

今夜の会食については、招待される側でもあり、不安があった。
まだ胃腸の働きが不十分で、下痢や軟便を繰り返している。手術で消化器の神経叢をいじっているので下痢をしやすいのと、抗がん剤が腸に反応して下痢をすることがある。数時間の空腹の後に食事をすると、反応で腸がぜん動する。朝が一番顕著で、食後、しばらくするとおなかがしぶり、トイレに数回駆け込むことになる。12月頃は、このしぶり感がひどくて小一時間は辛かった。終わるとホッとして疲れた。退院してからは、朝は、ずいぶん楽になった。それでも、外食のときは、いつもおなかの調子は大丈夫かな・・・と心配しながら、食事することになる。

一人のときはともかく、お客さんと一緒のときはなおさらだ。
1月中旬、職場の上司・同僚と5名でランチをしたのが、最初の会食だった。具沢山のスープやサラダ、大ぶりの和風ハンバーグがメニューで、楽しく2時間を過ごすことができた。退院して間もなかったので、こうして普通に会食できたのは自分でも驚きだった。

今夜は6時半に始まり10時にお開きの長丁場、もちろんビールは口にしなかったが、どの料理もきれいに平らげ、会話もはずんだ。さすがに終わりの方では、おなかがグルグルしてきたが、帰宅するまで大丈夫だった。本来、あまり社交的ではないのだが、外国の方が一緒のときは、私はとてもサービス精神を発揮する。話題の穂を次いだり、出されたものは、外国の珍しいものでも美味しそうになんでもほおばる。

場所は難波の裏手にある小料理屋、大阪らしいボリューム満点の和食コースで、まぁ気の張る席ではあったが、健康なときのように振舞えたのは、何よりだった。
こうして、少しずつ自信がついていくのだろう。

料理は、盃に少量のみかん酒で始まり、きな粉ゼリーの甘味まで13種。本当に、大阪はどこで何を食べても盛りだくさん。これが京都なら、見栄えはよくてもほんのちょっぴりで、男性陣には物足りないだろう。印象に残った料理は、「黒米飯蒸し(わかさぎの佃煮一切れ)」。黒米ともち米を合わせて蒸した黒い赤飯といえばいいだろうか、珍しかったし美味しかった。

お土産に、順天の学生さんたちが作ったという唐辛子味噌コチジャン1kgと、コチジャンの梅漬け500gをいただく。味見が楽しみだ。

府内の在日韓国人は、その多くが全羅南道の出身だと言う。昔の百済のあたりだ。6-7世紀の頃から百済と畿内は交流が盛んだったらしい。戦前は、「きみがよ船」という哀しい名前の船で下関を通って大阪湾までたどりついたとのこと。
これからは、歴史を大事にしながら、新たな交流を作っていかなくては。

ときに大食らいをする私を支えてくれる飲み薬。
毎食後 べりチームカプセル(消化酵素)+ ガスモチン錠5mg(胃腸の整え)
それに、朝1回 ワーファリン錠1mg(血液凝固を抑え血栓予防)。

今日の食事: 朝、丸パン1/2個にマーマレード、玉葱たっぷりのコーンスープ
       昼、アンパン1個とジャスミン茶
       夜、会食
(冷蔵庫には、玄米飯、きのこ沢山の五目御飯、金時人参と油揚げの煮物など、日曜に作ったものが残っている。家でちゃんとした食事もしている。)

睡眠:12時前の就寝はまるで駄目。一度として実現せず(家にいても寝るのは深夜か朝方)。

起床時の体温:今朝は36度5分、大体この前後。体温はさほど低くない。それでも、寒くて、外気の寒さが身にこたえ、いつもオーバーを手離せない。 
posted by 萩 at 00:09| 大阪 ????| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

2006年02月06日

仕事のこと



今朝は、はらはらと小雪の舞う寒さだった。薄めのブラックコーヒーマーマレードつき丸パン半個の朝食を摂りながら、つい考え事にふけってしまい、家を出たのは雪も止んだ昼前だった。1時の会議に少し遅刻した。

自分にとって仕事はどんな意味を持つのだろうと考えることがある。
金・土・日と家で過ごしていると、どうしても病気のことばかり考えてしまい、すっかり、がん患者アイデンティティが定着している。ネットで他の方たちの闘病記を読んでは、これから自分はどんな経過をたどるのだろうと考える。

再発や転移の不安があるのだ。たまに5年、6年と過ごされている方たちの記録を見ても、決して生易しいことではなく、いくつもの山を越えられての5年、6年だ。

仕事への気力というか、意欲も低下する。どなたかが書かれていたが、退院後の方が不安が強まるともあった。「不確かさ(uncertainty)」が生活の隅々を支配している。

職場に出て、目前のルティーンの追われる仕事以外に、いくつか連絡をとらなければならないことがある。東京にも二三の仕事がある。自分から一歩動き出さなければならないのだが、どうにも億劫でならない。気力がわいてこない。
今朝、コーヒーがまずいと感じながら、寝床でぐずぐずしている臆病者の平八(藤沢周平「早春の光」)が自分に重なった。

仕事は、独身の私にとっては何よりも経済的な基盤だ。決して贅沢はしないが、そこそこ満足のいく生活を支えてくれる。暮らし向きに不安がないのはありがたい。
地下鉄、電車、バスを乗り継ぎ職場に出ることは、健康なとき以上に今の私にとっては大事なのかもしれない。職場に出ることで、いっときがん患者である自分を忘れる。

それでもギャップがあるのだ。体力の衰え、無理がきかない、集中力にも欠ける。元気なときは、火事場の馬鹿力とでもいうのか、追い詰められて瞬発力で片付けることができた。持続力もあった。もう、そういうエネルギーはない。

何年も前に、喘息をはじめとする慢性疾患を病む方たちの手記を読んだ。早め早めの準備や、自分の体調を見ながらの調整・スケジュールづくり、病気とうまく付き合いながらの生活のコツがあった。今の私にも、そういうことが必要なのだ。

早くギャップが埋まってくれるといい。
仕事をする自分というのは、まぎれもない私なのであって、がん患者である自分と乖離しているわけではないのだから。
posted by 萩 at 23:19| 大阪 ?J| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記