今日も外は暑そうだ。
メグさんのご主人は会社のゴルフコンペとか。私と同じ44kgまで体重が落ちているのに、すごい元気なので驚いてしまう。私は、どうも7月以降、不調続きで、5分も外を歩くと息があがり、身体がしんどくて仕方ない。
こうして土曜日、なんの予定もなく1日家でゆっくりしていられるというのは本当にありがたい。
フルーツバスケット
桃、アップルマンゴー、オレンジ、レモン、キウイ、果物が豊富にあるのは嬉しい。
・・・と、ここまで書いていたら、ピーンポーンと宅配が届く。I先生から、沢山の桃やプラムの贈り物。どうもありがとうございます。早速、書きかけの記事はそっちのけで、桃、1個いただきました。甘くて果汁たっぷりで美味しい。入院中の沢山のゆずといい、岩手の甘いりんごと、いつもありがとうございます。
桃には思い出がある。
大学を卒業して1年目の七夕の日、今にして思えばありがちなことだが、当時の私にとっては大ショックなことがあった。ふだん食欲旺盛な私が、3日間、食物がのどを通らなくなり、唯一、桃とコーラだけを受け付けた。不思議と桃は食べられて、命の食べ物とそのとき思った。
入院中も、3-4日に1回は桃の缶詰がデザートについて、煮魚などに辟易していたとき、本当に嬉しかった。
食べ物には、その人の人生の歴史が刻まれている。
鰻が好きなのも、幼い頃の祖母との思い出だ。
辺見庸の「もの食う人々」という本では、食べる営みを通して、歴史や文化、政治も戦争も、地球上の人々の生のありようを伝えている。
円谷幸吉選手の遺書には、「○○さま、〜〜、美味しゅうございました」というリフレインが続き、我を殺した彼の生きようが伝わってきた。
食べるという行為は、その人の生を支えると同時に、生のありようを伝えている。
前回、職場の愚痴を書いてしまったが、嫌な人たちばかりなのではない。
十分な仕事もできない身なのに、気遣っていただき時折差し入れを頂戴することもある。
ずっしりと重たい大きなマンゴー、園芸高校の生徒さんが作ったきゅうり、7月にはとれたてのジューシーなメロン、高知の名産小夏、などなど。
きちんとお礼もしないまま、甘えていただいているが、ありがとうございます。
実家の父は、毎年、房州のびわを送ってくれる。館山の一つ手前、富浦は父の生家のあるところで、びわ山がある。子ども時代から、びわだけは贅沢に食べてきた。当時は、びわの木が成長期で実も大ぶりなのが沢山とれ、枇杷酒にしたり、1回で7-8個お腹が膨れるばかりにほおばったりしていた。近年は木も古くなり実もこぶりになったが、梅雨に入ると枇杷を思い出す。
果物は、病人にとってはありがたい食べ物だ。喉の乾きを癒し、体中に甘味が伝わり、食欲がなくてもどれも美味しく食べられる。
食べ物と記憶(思い出)のお話。
甘い香りのする短編小説のようですね。
人を支えたり生かしたりするものは、身近なものといつもつながっているのですね。
私ももっとそういうものを大切にしようと思いました。