早速のコメントありがとうございます。勝ち気な私が思わず涙をこぼしてしまいました。
本当に壁は越える為にあるんですよね。頑張ります。
今日初めて携帯から記事投稿にトライしてみました。結構面倒なものですね。コメント書き込みの方がずっと楽。でも新しい携帯メールに随分慣れてきました。
少し勉強して、セカンドオピニオンに備えます。医師に負けないようにしなくてはね。
励ましのコメントありがとうございました。
2006年08月07日
現状
府立成人病センターへセカンドオピニオンの申し込みのため外出許可をもらう。セカンドオピニオンは、後日、予約日の連絡がくるとか。患者にとっては面倒な手続きだ。ついでに、短時間だけ自宅へ。メールチェックその他。
センター医師への病状説明書のコピーはB先生からもらった。
簡単にまとめると、下記のとおり。
@肝臓内の転移がかなり増え、正常細胞が減少、肝機能低下。肝内胆管も腫瘍で圧迫されている。
A表皮から触れる程度の腹腔内腫瘍があり、それも胆管炎と関係。
B腹水が徐々に増加。
C目下は、腹水の減少と全身状態の改善を待ち、その後に経鼻的にカテーテルをとおして黄疸の改善を図る。(黄疸は前回入院前と同程度に出ている)
おおよそ、こんなところか。
かなり、私が予想していた以上に状態は思わしくなく、入院も8月一杯かかりそう。ただ、こんな状態でも、全身状態が改善すれば退院は可能なので、後は自宅でゆっくり療養することになりそうか。
腹水は、本当に気味が悪い。少しずつ増えていっているのが自分でもわかり、お腹が膨らんできている。食欲もどんどん低下。現在はラシックス20mgで調整中。果物類が食べられ、やはり今回も命の食物と思った。
尿は、本当にびっくりするくらいのこげ茶色が2,000ccは出ているだろうか。
もう少し、ラシックスを増やせないのかと問うたら、脱水状態その他の危険があるので、血液検査を見ながら調整していくとのこと。
排便は、あれほど下痢・軟便が日に数回あったのに、今はようやく1-2回少量が出ているくらい。なんで、こんなに変わるのだろうかと不思議なくらい。かん下剤マグミットを、様子を見ながら服用中。
現在は、抗がん剤はストップ。今後の治療方針はまだ決まらず。タキソテールの腹腔内注射など、takeさんのお母様の治療を思い出し提案して見たら、腹水があるときに注射針を刺すのは感染の危険などかなりリスクが高いとのこと。もちろん、ケースバイケースだから、それが有効な方もいるだろう。私の主治医は、この病院ではやっていない、仮にやるにしても、麻酔をかけて腹腔に穴をあけて注入する大掛かりなことになるとか。
創部に生着した2つの癌の塊は、自分でも触れることができ、徐々に痛みが出てきたが、ピンポイントの放射線療法を尋ねてみたら、これも胃や食道に悪影響がでる可能性があるのでリスク大とのこと。
ということになると、私は抗がん剤があまり効かないのに、やはり抗がん剤に頼るしかないのだろうか・・・。
現在、服用している薬は、毎食後にべりチームとガスモチン、朝食後にラシックス20mg、1日2回程度(昼と寝る前)鎮痛解熱剤のロキソニン、その他頓服でマグミット。抗生剤の点滴が朝・夕に2回、電解質の点滴が2本。
というわけで、全身状態の改善待ちというところ。
成人病センターのセカンドオピニオンで何を質問すればいいのだろう?
もちろん、今後の治療方針だが、なんともこちらの準備のしようがない。
いろいろ覚悟はしている。昼間はいいのだが、夜間に尿回数が増えているので、どうしてもその後の寝つきが悪く、身体の痛みもあり、それが辛い。
先日、遠方から数名の方が見舞いに来てくれて、本当に嬉しかった。ここで、改めてお礼を申し上げる。
和歌山の実家に里帰り中の学部の教え子も見舞いに来てくれて、彼女自身、ながらく欝を患っているのだが、いい人にめぐり合え結婚・出産と元気そうだった。普通、「がんばって」は禁句というのがもっぱらなのだが、お互い、病中の身とあり、やはり、双方とも「がんばろうね」が別れのあいさつになった。それでいいのだと思う。元気な人から言われる「がんばって」と、お互い病を苦しむ身どおしが言い合う「がんばろうね」は、まったく意味が違うのだ。
私は、もう彼女にはこれが最後の面談かと覚悟していたのだが(今までも年に1回くらいしか逢えていない)、彼女との別れの挨拶で、次の会う日を約束した。もう1回、彼女に逢い、今回は残念ながら会えなかったベビーちゃんに今度は母子ともども会おうと思った。
18ヶ月の壁は承知している。なんとかこの壁は乗り越えたいと思っている(私にとってそれは来年4月)。別にさしたる未練があるのではないが、こんなことで、そう易々とまいってたまるかという思いもある。
なにより気がかりは、老父のこと。退院したら、H医師のセカンドオピニオンをもらいに、東京に帰ろうとは思っている。
しかし、不思議なめぐり合わせだ、東京生まれの東京育ちが、おそらくはこの大阪が最後の土地になるかもしれないのだ。幸い、よき友人・同僚たちにも恵まれたので、それが何よりかもしれない。