今日も1日、何もしなかった。今週こそは部屋を片付け、二三、これ以上は引き伸ばせない仕事を片付けようと思っていたのだが・・・。入院中の見舞いにiPodーnanoをもらい、ダウンロードをしようと思いながらそのままになっていた。結局、あれこれ試しながら、ネット購入まではせず、手持ちのCDから300曲近くを読み込ませた。そんなことで午後中かかってしまた。
ご飯を炊き、朝昼と夕食の2回の食事、りんごのおやつ、夜TVを見ながらうたた寝、そして新聞読み。
来週の土・日は東京で大事な研究会がある。実家にも昨年来、数ヶ月帰ってなく、暖かくなってきたので帰ろうかと思っている。
病気のことは、なんて話そうか? まだ本当のことは話していない。
入院前日に、しばらく家を空けるので、老父には外国に行っていると電話を入れた。数週間の外国出張はこれまでもたまにあったので、別段おかしなことではなかった。
家族に内緒にしていて一番困ったのは、手術のときの同意書だった。検査・処置には、必ず説明の後に、本人の同意書署名がいる。手術だけは、本人以外に家族の同意も必要だった。また、術中にもしものことがあるかもしれないので誰かに待機していてほしいとも言われた。
退院して元気な顔を見せられるようになるまでは、入院・手術のこと話せないと思っていた。考慮の末、保証人の署名は職場の上司に頼み、術中の待機と術直後の説明は同僚に頼んだ。
入院は思いのほか長引き、正月休みに帰れそうもなかったので、12月上旬に電話を入れた。韓国・中国の出張から戻って体調を崩し、急に入院となり手術を済ませた、と。心配して大阪に来ると言い出しかねないので、入院先は伏せたままにしていた。
その2-3日後だろうか、老父が病室に現われたのでびっくりした。私が何も話さなかったので、職場の上司にいろいろ問い合わせたらしい。
幸い、点滴は続いていたが、嘔吐がおさまり体力も回復していたので、空元気ではあったが普段どおりの私で会うことができた。点滴棒を引きずりながら病室内もうろうろ歩き回って見せた。そんな姿に安心したようだ。
癌だとは話せなかった。慢性膵炎で、胃を少しと十二指腸とともに膵臓の一部を切り取る大きな手術だったが、回復は順調、心配は不要と伝えた。
もともと、家族にはあまり自分のことは語らない方だ。最小限のことしか伝えない。だから逆に心配をかけるのだろうな・・・とは思うのだが。
その後、退院までに何回か病室に電話があった。こちらが、そろそろ電話を入れておかないと・・・、と思うまもなく実家から先に電話が入る。
私の病状説明では納得いかないのか、あるいは昔かたぎの律儀さからか、しきりに主治医に会いたがっていた。主治医は多忙でこちらの都合だけで会えないのだから、と嘘を言った。
職場の方にも挨拶に行かなくていいのだろうか・・・と気にしていた。
「そんなこと言ったって、お前、みなしごじゃないんだから・・・」
親が挨拶に行かなかったら、おかしいじゃないか、というのだ。
”みなしご”という言葉に、東京から大阪に移った娘への距離感が伝わってきた。
やはり、今度の週末には東京に帰ろう。
いずれは再発のこともあるだろうし、元気になったら本当のことを話そうと思っていたが、病名は伝えられない。しばらく、今のままでいくしかない。

