今朝は、はらはらと小雪の舞う寒さだった。薄めのブラックコーヒーにマーマレードつき丸パン半個の朝食を摂りながら、つい考え事にふけってしまい、家を出たのは雪も止んだ昼前だった。1時の会議に少し遅刻した。
自分にとって仕事はどんな意味を持つのだろうと考えることがある。
金・土・日と家で過ごしていると、どうしても病気のことばかり考えてしまい、すっかり、がん患者アイデンティティが定着している。ネットで他の方たちの闘病記を読んでは、これから自分はどんな経過をたどるのだろうと考える。
再発や転移の不安があるのだ。たまに5年、6年と過ごされている方たちの記録を見ても、決して生易しいことではなく、いくつもの山を越えられての5年、6年だ。
仕事への気力というか、意欲も低下する。どなたかが書かれていたが、退院後の方が不安が強まるともあった。「不確かさ(uncertainty)」が生活の隅々を支配している。
職場に出て、目前のルティーンの追われる仕事以外に、いくつか連絡をとらなければならないことがある。東京にも二三の仕事がある。自分から一歩動き出さなければならないのだが、どうにも億劫でならない。気力がわいてこない。
今朝、コーヒーがまずいと感じながら、寝床でぐずぐずしている臆病者の平八(藤沢周平「早春の光」)が自分に重なった。
仕事は、独身の私にとっては何よりも経済的な基盤だ。決して贅沢はしないが、そこそこ満足のいく生活を支えてくれる。暮らし向きに不安がないのはありがたい。
地下鉄、電車、バスを乗り継ぎ職場に出ることは、健康なとき以上に今の私にとっては大事なのかもしれない。職場に出ることで、いっときがん患者である自分を忘れる。
それでもギャップがあるのだ。体力の衰え、無理がきかない、集中力にも欠ける。元気なときは、火事場の馬鹿力とでもいうのか、追い詰められて瞬発力で片付けることができた。持続力もあった。もう、そういうエネルギーはない。
何年も前に、喘息をはじめとする慢性疾患を病む方たちの手記を読んだ。早め早めの準備や、自分の体調を見ながらの調整・スケジュールづくり、病気とうまく付き合いながらの生活のコツがあった。今の私にも、そういうことが必要なのだ。
早くギャップが埋まってくれるといい。
仕事をする自分というのは、まぎれもない私なのであって、がん患者である自分と乖離しているわけではないのだから。

