2006年02月02日

どういう人生を送りたいか



しかし、↑そんなことを問われたところで、どう答えたらいいのだろう?

特別なことは何もない。平凡に、淡々と、自分らしく、今の状態を続けられれば、それが一番いい。それ以外に何を望むというのだろう。

入院中、私は10数冊の小説を読んだ。大半が、いつか読みたいと思っていた藤沢周平作品だった。手術前に読んだ1冊、「三屋清左衛門残日録」のなかの、最後の1編「早春の光」の一節より(p.436)。

--そうか、平八。
いよいよ歩く習練をはじめたか、と清左衛門は思った。
人間はそうあるべきなのだろう。衰えて死がおとずれるそのときは、おのれをそれまで生かしめたすべてのものに感謝をささげて生を終えればよい。しかしいよいよ死ぬるそのときまでは、人間はあたえられた命をいとおしみ、力を尽くして生き抜かねばならぬ、そのことを平八に教えてもらったと清左衛門は思っていた。

どういう人生を送りたいか。上記のように生きられたら、それにつきることはない。
posted by 萩 at 23:39| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

手術の選択



このブログを4-5人に伝えたところ、ある人から手術の選択をどのように判断したのかと問われた。
11月2日の病状説明の場は、ところどころ鮮明に記憶している。細かい内容は忘れたが、自分がどのようにして手術を選んだのか思い出してみよう。

一つには、事前に読んだ医学書のコピーから、治療の第一選択が手術(膵切除)であること、手術と化学療法では生命予後に開きがあること(後者では1年以内)、手術の場合もstageIIIやIVでは成績が改善していないこと、10年前の古いデータだが症例数の多いIVaで1年生存率27%、5年で数%・・・と、冷や汗ものの情報がしっかりインプットされていた。

A先生は外科医にもかかわらず、手術の困難さと根治性の難しさ(門脈浸潤あり、後腹膜への拡がり?)を強調していた。その場の印象では、暗に、化学療法を薦めているのではないかとさえ思ったほどだ。
手術ではどうしてもCa細胞が残る、手術することで肝転移の可能性が高まる、門脈の神経叢をいじるので下痢・便秘など術後QOLは低下したまま、膵臓断端と空腸吻合の難しさetc.
それに対して、ジェムスタビン(化学療法)はまだ3-4年の成績だが、今のQOLを維持してしばらく持たせることができる。選択は、私がどういう人生を送りたいか、だとも。
「自己決定」ということは分かっていたが、苛酷なことだった。

「先生が私の立場だったらどちらを選びますか?」
「さぁ、どうするかなぁ・・・」、当たり前だが、答えなかった。

いろいろなことが頭をよぎり、何か独り言のように自分の思いを口にしていた。QOLを維持して1年以内、手術と術後化学療法でQOLの低いまま2-3年、どちらを選ぶか?
生命を縮めてまで今成し遂げなければならない大事な仕事など私にはない。秤はがたんと前者に傾き、急に仕事などどうでもよくなった。家族のことも話していた。子供のいない気楽な独身、取り残される老父への思いなど。

「私のこれまでの性格からすると、アグレッシブに立ち向かうのが私らしいので、手術でお願いします。」
傍らで聞いていたB先生が、迷いのない答えに、「アッ」と声を出した。

セカンドオピニオンは必要なかった。A先生は府内の2-3箇所を挙げられていたが、自分が決断するのは同じことだった。それに、2名の主治医を信頼していた。
1時間ほどだったろうか、終わりの方で、A先生は、私の選択を支持するかのように言われた。「化学療法は宝くじと同じ、効く人には効くが、当たる確率は低く、損する場合が多い。」

その場で結論を出した。もう一晩ゆっくり考えてみようとは思ったが、迷いは生じなかった。

結局、どのように選択したかというと、今までの自分らしさ、ということになろうか。
posted by 萩 at 23:04| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ライフスタイルを変える



昨夜は、ネットサーフィンをして3時、それからいつもの長めの入浴をして寝たのが朝方4時。8時過ぎに目覚ましで起きたがそれからまた寝てしまった。外は冷たい雨音。
昼頃あわてて外来へ行き、採血を済ませた。腫瘍マーカ、CA19-9とCEAが検査項目に入っているのを確認した。白血球・血小板は大丈夫だろうか、少し気になる。

朝食禁だったので、近くで昼食(そば)を済ませて職場へ。午後からいくつもの会議が入っており、席に落ち着く間もなく、結局、すべて終了したのは夜9時。10時のバスに間に合い、電車に乗って最寄り駅について、11時少し前、近くの「めし屋」で夕飯を済ませた。タクシーで帰宅し、お茶でも飲みながら新聞読みといきたいが、このブログを始めたのでまずはPCに向かった。

退院してから、ライフスタイルを変えようと努力している。
免疫療法関連の書物を読むと、1)食生活、2)睡眠(夜11時前には寝る)、3)ストレスをためない、4)副交感神経優位の生活、etc.と続く。

食生活。今日は2食とも外食だったので×だが、一番改まった部分だ。
それまでの生活はひどかった。朝はコーヒーにパン、昼は職場で仕出し弁当(400円で安いのが取り得)、夜はお菓子やありあわせのパン、または今夜のように外食。カップ麺やスナック菓子も多かった。
数年ぶりに電気釜を取り出し、ご飯を炊いて食べている。炊き立てのご飯の美味しいこと。野菜たっぷりの味噌汁に、漬物・佃煮、デパ地下の惣菜で、自分で用意する食事がこんなに美味しいのかと、入院中の苦痛だった食事を思い出す。数日前からは玄米食にも挑戦し、厳密な菜食主義は無理だが、野菜穀物中心の食生活に変わった。まったく苦痛ではない。

難しいのが、就寝と起床時間。朝寝坊の夜型で、興に乗れば4時5時まで起きて平気だった。仕事の日は3-4時間寝て、睡眠不足のまま1日を過ごしていた。
入院中は、毎晩、睡眠導入剤(マイスリー10mg、それが効かなくなってからはレンドルミン)の世話になり、6-7時間きちんと寝ていた。退院後、不思議と眠剤が不要になった。
早寝早起きに変えたいのだが、これが本当に難しい。
就寝前に、1時間ちょっと入浴。12時前に寝たいのだが、新聞も読みたいしTVのニュースも見たい。帰宅が8時頃ならなんとかなるが、今夜のように11時過ぎだと寝るのは2時か3時。

まず当面の目標、12時前に寝ること。週のうち4日できたら良しとしよう。
posted by 萩 at 00:42| 大阪 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする